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戦災で焼失した社宝などのご紹介

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太田道灌公と妙義神社

当社は昭和二十年四月の空襲で社殿、社務所をはじめ古文書、宝物などを消失してしまいました。
昭和四十年三月に現在の社殿を再建することになり、その工事の時に境内から発掘された寛永九年十一月の記録が残る庚申塔と、寛政十九年の手水鉢が現在に引き継がれているだけです。

風土記・縁起を比べてみると…

さきほど申し上げましたように、当社に伝えられていた「妙義坂の神社縁起」は戦災で焼失しました。
しかし昭和四五年ごろ、当時の宮番だった山本真畝氏が神社大系編纂会所蔵の同じ資料を発見されました。
これを見ると、他誌にはまったく記述がない妙義坂神社も幕末の江戸分間地図には「妙義大権現」と大きくかかれています。
また、同じ事件でも「新編武蔵風土記稿」と異なる記述がされており、とても興味深いものです。

例えば、道灌が文明三年(一四七一年)に古河公方・足利成氏との合戦を前に当社に立ち寄り戦勝祈願をした下りです。
「新編武蔵風土記稿」では道灌が戦勝を祈願して神馬、宝剣を捧げ、家臣である樋口謙信と連歌を神前に供えたとあります。
その連歌とは
 雲はらふこの神垣の風の音 道灌
 草をも木をも吹きしほり行 謙信
です。
そして戦勝の暁には社領十五貫文を寄附して、次のような詩を詠まれたそうです。
その詩とは
 秋風靡雲社前庭 一皇戎凶賊平 月光不倣暉神武 千歯赦乎奉威明
というものです。

これに対して縁記書では「その夜、道灌公は不思議な霊夢を見て、凱旋の折り、直ちに白雲山に云々」となっています。
「新編武蔵風土記稿」は合理的な事実のみを記述しているのに対して、縁起書では超常現象など霊験を強調するような記述が多く、両方を比べて読むと全体像がよく分かります。

「勝負事のお守り」で絶大な人気

道灌公はこの文明三年の古河公方との戦さのほかのも、同九年(一四七七年)の豊島兄弟、同十一年(一四七九年)の千葉孝胤との戦いの時にも当社に戦勝祈願に訪れ、その都度勝利を収めています。
こうした歴史から、当社は勝負の神様「勝戦の宮」として信仰を集め、お守り「勝守」は受験、スポーツなど試験や勝負事にご利益があると遠方からも訪れる方が大勢いらっしゃいます。
太田道灌公が今なお多くの人々から慕われていることがうかがえます。

このような神社の神職として、責任の重さを痛感するとともに、今後とも多くの方々に気持ちよくお参りできるよう、当社を守っていく所存です。
お近くにお越しの節は、ぜひお参りください。

妙義神社宮司